従来は国家の体制を資本主義国家と社会主義国家の2つに区分するのが一般的であったが、現在は共産党が支配する社会主義国家でも市場経済制を導入しているため、この区分は適当ではなくなってきている。このため近年は、国家を民主主義国家とそれ以外の国家(非民主主義国家)とに区分して対立的に見ることが多くなってきている。民主主義国家に生活していると、民主主義は国民の意見を政治に反映させるために必要な望ましい政治体制のように思ってしまうが、世界的に見ると民主主義の国家はそれほど多くはない。スウェーデンの調査機関V-Demによると2019年における民主主義の国・地域は87であり、非民主主義の国・地域の92よりも少ない。現実的にはこのように非民主主義の国家や地域の方が多いことから、自由と民主主義とを標榜して連携していこうとする主張は説得力が十分ではない。当然ながら民主主義にも問題があることは否定できず、改めて民主主義について考えてみたい。
現在のコロナ感染対策で浮き彫りになった民主主義国家の問題点は、コロナ感染の急拡大のような緊急時においては政府の方針を決定するまでに時間がかかるとともに、その実行においても迅速さにかけ徹底も難しいということである。また一般的には、民主主義は政策が国民のエゴに引きずられる、もしくは迎合してしまうポピュリズム(大衆迎合主義)に陥る傾向があることが問題だとされている。ポピュリズムは、大衆の意見に沿った政治を行うという意味では民主主義そのものであると言うことも可能であるが、普遍的な政治理念を持たず、外国や国内少数派などを対象にこれを意図的に敵視して賛同者だけの支持を得ようとする視野の狭い政治と解釈されている。更に、民主主義国家の政治家は選挙における当選を意識しすぎるあまり、国家として本来取り組むべき政治課題、特に国民に負担を求めるような政治課題を回避したり、先送りしたりするという問題も持っている。
従来は民主主義と相反する政治体制は君主主義とされてきたが、現在は君主を名乗って政治を支配している国は少ないので、権威主義という言葉を用いることが多いようである。権威主義的政治は思想や言動の自由を制限し特に政府批判に対しては武力も辞さずに弾圧するという事例が認められるために、民主主義国家の国民から見ると好ましくない政治体制として理解されている傾向があると思う。しかしながら、もし人権の重視も含めて誰からも賛成されるような普遍的な政治理念を持ち、国家を繁栄させる具体的政治手腕も兼ね備え、人格的にも尊敬されるような謙虚な政治指導者がいたとすれば、その国で権威主義的政治体制が受け入れられる可能性はかなり高くなることは否定できないであろう。
民主主義と権威主義の違いは、ボトムアップとトップダウンという言葉で言い表されるのではないかと考える。民主主義は、国民の意見に基づいて行われるボトムアップの政治体制であり、権威主義は理想的に言えば国民よりも広い視野、優れた政治能力に基づいて国民を指導する姿勢で行われるトップダウンの政治体制ということができると思う。人が何かを学習する方法としては、自らの経験に基づいて学習する方法と、先人や指導者の教えに基づいて学習する方法とがある。一般的に言えば、最初は先人や指導者の教えに基づいて学習し、これに自らの経験による学習を加えることで、実生活に活用できる能力を養うことができる。自らの経験による学習だけでは進歩が遅くなる。これと同様に国家の運営においても、国民の意見に基づいて行う方法と、優れた指導者の方針に基づいて行う方法との二つの方法があり得ることを否定することはできないと思う。民主主義国家の国民は権威主義国家の独裁や政治的弾圧という問題に着目して権威主義的政治を否定的に考えるが、権威主義国家の政治家はおそらくその政治手法の利点と民主主義政治の問題点に着目して権威主義的政治の方が優れていると信じているであろう。いずれの側が相手側の政治体制を否定する方向で説得しようとしても十分な説得力はない。
このように考えると、民主主義政治と権威主義政治とを比較していずれがあるべき政治体制かと考えるのはあまり意味がないと思う。政治体制よりも重要なことは、普遍的な政治理念とその実行力ではないかと思う。人権の重視も含めて誰にでも受け入れられる普遍的な政治理念を持ち、この政治理念を実際の政治で実現できるような人格的にも優れた指導者であれば、民主主義国家か権威主義国家かを問わず、国の内外から支持されるであろう。このような理想の政治家は稀であろうが、政治の理想のあり方を考えて普遍的な政治理念を考察し、これを世界的に共有しようとすることは意義があると思う。
民主主義国家は権威主義国家の政治体制を否定するのではなく、普遍的な政治理念を提案しこれを共有化するように働きかけることの方が、結果的には人権問題を早く終息させられるのではないかと考える。
尚、一般的には民主主義政治はポピュリズムという問題を抱え、権威主義政治は人権軽視という異なる問題を持っていると理解されているが、現実を見ると民主主義国家にも自由な報道を抑圧するなどの傾向が認められ、権威主義的国家にも国民の感情に迎合するようなポピュリズム的政策が存在する。いずれの政治体制においても為政者は同じ人間であることを考えるとこれは当然であるのかもしれない。問題も解決策も制度ではなく、最終的には人間にある。
最後に、敢えて理想的な政治体制を言うならば、普遍的な政治理念を持ち、具体的政治手腕も兼ね備え、人格的にも尊敬されるような謙虚な政治指導者を民主主義で選出することであろう。このような政治の理想を考えるときに、国民やマスメディアは期待に応えられる政治家がいないことを嘆くだけでは済まされない。普遍的な政治理念や政治のあり方について考察し議論するとともに、その内容を政治家に要求し、政治家の活動結果を報道や選挙に反映させ続ける必要がマスメディアと国民とにはある。政治のレベルは、国民のレベルに応じたものでしかないと言われる。民主主義は国民の意見に基づいて行われる政治体制であるが、その前提として一人一人が世論に流されずに自らの頭でより良い政治について考える必要がある。