現在の日本社会では、さまざまなことを心配・不安視しすぎる傾向があるように思える。多くの公園では怪我することを心配してボール遊びが禁止され、学校では風紀が乱れることを心配して(?)、些細なことにまで校則が設けられる。「~するといけないから」、「~しないように」という心配や不安に起因する制約は、大人の世界にも多く存在する。勿論妥当な制約もあるが、「こんなことまで?」と感じたことがある人は多いのではないかと思う。
健康食品や健康器具、美容品などの販売で消費者の不安を利用することは多く認められるが、マスメディアの報道でも結果的に不安を煽っているだけではないかと思うことがある。1989年に3%の消費税が導入され、以後3度にわたってその税率が引き上げられたが、これらの際にテレビのニュース番組などで放映される街頭インタビューのほとんどは、「消費税が上がりますが、心配はありませんか?」などとインタビューする相手の心配を煽るようなものばかりであった。「高齢化、労働人口の減少に対応するために、税金の徴収方法を所得税から消費税に移行させてようしていることに対してどう思いますか?」などのような税金制度全体の理解に基づいた意見を求めようとする質問は私の知る範囲では皆無であった。このようなインタビュー方法は問題の建設的な解決に貢献するものではなく、国民の不安を煽るだけで結果として国民の視野を狭くしているのではないかと懸念してしまう。
人には考え方の傾向があり、物事を繰り返し同じ視点から見るとその傾向が強まり、視野が狭い状態で固定化してしまいがちである。不安という感情の性質から考えると、視野の固定化と、不安という観点から物事を考えてしまう自動思考の傾向が特に進みやすいのではないかと懸念される。このため、心理学や精神医学の知見をもとに不安について考えてみたい。
恐怖は危険や脅威の対象が明確であるのに対し、不安は未来の脅威に関する漠然とした予期である。この言葉の定義から考えると、進学、就職、転勤など新しい環境で生活を始めようとする場合などに漠然とした不安を抱くのは当然のことであり、多少なりとも新しい経験に不安はつきものであると言える。現代社会ではIT技術を代表として技術進化とそれに伴う社会の変化が加速してきており、このため人々が不安を感じることが多くなってきているものと考えられる。このような状況の中では、不安に悩む人でなくても、不安が思考や行動に及ぼす影響が徐々に大きくなってきているのではないかと懸念される。
不安は、予期される脅威に対応するために交感神経を刺激し、心拍数や呼吸数を増加させ、覚醒水準を高める。覚醒水準と人のパフォーマンスの関係はヤーキーズ・ドットソンの法則として知られており、人のパフォーマンスは覚醒水準が低すぎても高すぎても最大とはならず、覚醒水準が適度に高い時に最大となる。このため、不安が高すぎるとその脅威が実際に生じた時には脅威に対する対処能力も低下してしまう。また、恐怖を感じた時に選択しやすい行動はその対象と戦うか、もしくは逃げるかという行動であるのに対して、不安を感じた時に選択しやすい行動は回避・逃避であり、問題解決型の積極的行動ではないという特徴もある。
神経科医の森田正馬は不安や恐怖に起因する神経症(当時の区分)に森田療法と呼ばれる独自の治療方法を確立したが、神経症の症状に注意を集中すると感覚が過敏になり過敏になった感覚は更に注意の集中を招く傾向があることを精神交互作用と呼び、症状に集中するのではなく症状をあるがままに受け止めながら課題や仕事に集中することが治療上重要であると考え、作業療法的治療を実践した。また、同じく神経症の治療を専門としたヴィクトール・フランクルも例えば頭痛を感じた人が過剰に心配して頭痛をよく観察し続けると頭痛は更に悪化し悪循環に陥ると同様のことを指摘している。このため、不安に注目することは結果的に不安を増大させるという悪循環に陥る傾向があることに留意する必要がある。
固定化した思考パターン(自動思考)の修正に有効な方法で、不安などのネガティブ感情の軽減にも適用される認知的再評価と呼ばれる方法がある。これは状況を固定化した思考パターンだけでなく異なる視点からも見るように修正することで、過大視していた問題を適切に把握したり、新たな解決策を見出そうとするものである。先の例で言うならば、新しい生活に臨むにあたり不安だけに注目するのではなく、期待や希望を含めて全体的にバランス良く受け止めとうとすることである。消費税について言うならば、当面の増税という負担増加だけに注目するのではなく、長期的な税制のあり方全体を考えて、その中で当面の負担増加が妥当かどうか考え直してみようとすることである。
「~するといけないから」「~しないように」「失敗してはいけない」というような発想は不安に基づくものである。人生には失敗や予期せぬ出来事はつきものであり、失敗から学び自ら行動を修正していける人間を育てることこそが大切であり、不安に支配されずに予期せぬ出来事に対処する能力も必要である。不安は不安を高める傾向があり視野が固定化しやすく、不安が高まると問題解決能力が低下してしまうという問題があることを知り、不安を感じる機会が増えていく社会の中で、自らの不安を高めない、他人の不安も無闇に刺激しないことが大切になってくるのではないかと考える。